今年ほど大好きなミュージシャンの訃報が相次ぐ年もなかった。
「好き」などというフワっとした言葉ではなく、音楽人としての我が細胞を形成してくれた人たちが逝った。谷村新司、PANTA、チバユウスケ・・・等等。
アリスがいなければ私はギターを始めていないわけで畢竟音楽をやっていない。
「○○が無ければ自分の人生は全く違うものになっていた」の○○に入るのはコーヒーではなく音楽である。
その後洋楽ロックにカブれ様々な音楽を聴き、創り、子供の頃に慣れ親しんだバイブル(アリスの作品)に精神的に反抗してみたり遠ざかっていったのは音楽的父(谷村新司)への反抗期を経て青年期に入って行くわかりやすい軌跡だったなと今は思える。
洋楽ロックに全身浸って完全に大人になって以降に強烈に痺れた邦楽アーティストがPANTAであり後追いで過去の音源を聴き漁り「70年代あたりにタイムスリップして大学生になってみたい」という衝動に駆られたりもした。
いっぽうで世界に目を向けても多くの大好きなミュージシャンがやはり鬼籍に入っている。
音楽人としては「【あの世】も楽しそうだな」と思うほど賑やかで豪華絢爛ぶりだ。
でもだからといってすぐに自ら進んで「そこ」に行こうとか、「今こそが全てだウェ~イ!」と刹那的に生きようとも思わない(「生きている今のうちにこれはしておこう」という優先順位の大切さは痛感してきてはいるが・・・)。
我が人生の歴史の中に大切な音楽があり、それらが幾重にも折り重なり、そこにはやはり大切な思い出(幼少期、思春期、理不尽、絶望、希望、幸福etc)も積もっていて、それゆえに味わい深い人生になっている。
そうした折り重なり積もったものでいっぱいになった状態でしっかりと生きて、活きて、その果てに、堂々と「あの世」で彼らに「楽しんで来て遅くなりました」と言いたい。
2023年師走 あかざわ さとる