珈琲文明創業当初、生まれも育ちも横浜に無縁(それでいて横浜大好き人間)だった私には
店もまだ全然軌道に乗らないし近所には親戚はもちろん友人知人誰もいませんでした。
そんな時に六角橋界隈のミュージシャン連中が集う宿り木のような呑み屋「焙り家(あぶりや)」の存在を知りました。
もともと独りで呑み屋に入るという習慣がないことに加え、一見さんが入るには相当勇気がいるような店構え(笑)を前に入るのを躊躇ったのを覚えています。
私が勝手にイメージしていた「横浜のミュージシャン」は一様にブルース寄りで髭を蓄えた仙人のような店主が吞みながら営業し、営業の隙間に自ら「横浜ホンキートンクブルース」を歌い出す・・・といった偏見の塊でして(笑)、しかも店名が「焙り家」・・渋い・・。
勇気を出して入店するとそこには仙人でもなく、また肉や魚をひたすら焙り続けているわけでもない、歳にして私より少しだけ上だけど同世代と思しきマスターと若いママさんがごくごく自然に迎え入れてくれました。
当時、珈琲文明はまだ夜10時まで営業し、ケーキも自分で作っていたので毎晩午前様になっていたので「焙り家」がいくら深夜までやっているとはいえ行けるとするなら休前日の火曜(当時の当店の定休日は水曜日だけでした)くらいかなと思っていたら焙り家の定休日が火曜日ということであまり回数は行けていませんでした。
しかしそこに行くと必ず誰かしら、というよりそこにいるほぼ全ての人が音楽をやってい
てそれがもはや共通言語になっていたのが心地よく、そこから多くの「六角橋ミュージシャン」と繋がることが出来ました。
そこに行けば必ず誰かいる、ミュージシャンの宿り木にしてThe Same OldThird Place.
かつて自分が「お店をやろう!」と思った時にまず最初に思いついたのがまさにこんなお店か、或いは音楽(ロック)色を敢えて一切消してチェロが流れる店内で大好きなコーヒーを淹れるお店という相反する二択で結果的に後者のお店にした自分にとって「焙り家」の存在は「もう1つの自分の人生」を疑似体験しているような不思議な感覚もありました。
その「焙り家」が閉店して10年経ちました。
今回何故いきなり「焙り家」の話をしているかといいますとこの度この「焙り家」のRさん(当時のママさん)が亡くなられたのです。
先月24日(日)に「Rさんを偲ぶ会」が行われ、私もお店を休んで出席して参りました。
多くの六角橋ミュージシャンが集まり、その中で横浜在住17年の私は新参者の部類に入りますが我がバンド(コブラツイスト&シャウト)と対バンした人や、その友達の友達やそこからまたさらに繋がって・・・を繰り返し、いつの間にか膨大な数の音楽仲間が出来ていました。そしてその源泉を辿っていくとそこには紛れもなく「焙り家」がありました。
Thank you, R. Thank you, my sweet homeABURIYA.
珈琲文明 店主 赤澤 智