小3の時マジでクラスに誰1人プロレスに夢中になってるヤツがいなくて、独りで熱くなってて家でも家族みんなは「太陽に吠えろ」見てて、テレビ一台だったから涙を呑んで、
肺炎で一か月ほど入院した時に病室に小さい白黒テレビを買ってもらったのが嬉しくて、でも「猪木vsビルロビンソン」という屈指のカードは同じ病室にいた当時80歳くらいのお爺ちゃんが大きなカラーテレビを見てて、オレはそのお爺ちゃんに試合2,3日前から「今回の戦いがいかに世紀の一戦なのか」をプレゼンし、お爺ちゃんも「しゃあないなもう」って感じで一緒に観てくれた。画像はカラー大画面で、オレは音声は白黒テレビからイヤホンで、技の解説とかもオレは挟みながら一緒に熱く(そのお爺ちゃんが熱かったのかは今や疑問)観戦した。
その後退院したオレは見事そのまま白黒テレビを連れて帰ってきて、金曜夜8時だけは家族でオレだけ白黒で新日を見ることを許された(いや反対はされてたけども)。
相変わらずクラスにはプロレス話が出来る相手がいなかったんだが、北海道苫小牧市立美園小学校には「どんぐり学級」という、今で言うところの学童保育とかキッズとかそういうとこに行ってたそこに1学年下になんとオレと同じくらいプロレスに詳しいやつがいて意気投合しまくった。
小3のオレだってクラスに同士がいなかったんだから小2の彼はさぞかし毎日辛かったことだろう。
「タイガージェットシンがまさかブレーンバスター(正攻法)するとはな」とかそういう話が出来るのはそいつしかいなかった。
親兄弟からでもなく、友達からでもなく、何からそうなったのかわからないけど完全に熱くなったのがプロレスで、その中心にいつもいたのが猪木だった。
これ今でも確信してるんだけど、フィジカル全盛期だった頃の猪木がもし「ヴァーリトゥード」とかに出てたらマジで強かったと思ってる。
なんというか格闘家における野生の闘争心というか「怖さ」のようなものが猪木にはちゃんとあった(あくまで個人の感想だけど他には神の子山本KIDとかエンセン井上とかかな)。
誰がどう見ても正義のヒーローみたいな感じじゃないところが好きだった。
もう何年も前に「王、長嶋、ポール、ミック、そして猪木がまだ生きてる時代に一緒に生きてることは実は凄いことなんだ」とブログか何かに書いたことがある。
終わりは来てしまった。そして残りの面々にもいつかその日は来る。無常なり。
#アントニオ猪木