それでもしっかり緊張するのがライブってやつで、でも緊張しないライブなんてやりたくない。主催してくれたたかまつなおき君は「あかざわさとる」と同じ全て平仮名7文字っていうだけじゃなくティーチャーソングライターっていう肩書さえも過去の自分とカブるんだけどこの度突然彼がモラトリアム期間突入自由人となってまさかの水曜(珈琲文明定休日)平日共演が可能となったことで実現した。
岡本主任はずっとネット上では知り合い(現代っ子の同年代だからさ)でいろんな意味でインパクトあるのと、あとマインド(演奏する店のことをとても大切にしてることとか、林さんなんかもそうだけどいろんなハコで超活発に活動している人はみんなこういうスタンスだから店側からも好かれてるんだろうな)が好きだったんだけど実は1曲もまだ聴いたことがなくて動画とかも上がってるらしかったんだけどここまで来たらその日その場で初耳のほうがいいと思い観戦。
過去の統計上「弾き語リスト」の8割以上は「何かに似ている」人が多く、まぁそんなこと言ったらバンドだってそうかもだけど例えばその人のルーツや教科書と呼べるようなアーティストがいたとしてもそれを自分で消化し昇華しないと面白くもなんともないわけで、でもだいたいがそのルーツや教科書となった人にひたすら寄せてるだけの人が「弾き語リスト」により多く見られる(個人の見解ね)んだけど、例えば岡本主任が昨夜演奏した曲の中で「動物園の檻の中にいるライオン目線」の歌があった。そんな歌聴いたことないていうか普通ないじゃん?着眼からして唯一無二な上に借りてきた言葉みたいなのがなく自分の言葉、というか作中の人物(この場合動物か)のキャラの言葉を発している、まさに現代版「吾輩は猫である」みたいなあの1曲だけでも見て良かったと思った。
なおきくんにせよ主任にせよ歌詞や譜面を見ないでやっててオレもバンドの際は見ないことにしてるけど弾き語りになると見ないとダメになってて自分で作った歌詞すら覚えられない体たらく・・・。
お互いに普段聴いてる音楽とかかなり違うと思うんだけど、なんというか、音楽じゃなくて、普段生きている中での喜怒哀楽の感情、特に「感動スイッチ」と「怒りスイッチ」のポイントが近いんじゃないかなぁなどと思ってみたりした。
音楽があると人生は楽しくライブをやるともっと楽しい。
さらに超馴染みの店(ラフィエスタ)でやれるなんてこれ以上何を望むよ。
打ち上げも他所に行ったりせずそのままラフィエスタでやって、頂戴したギャラも「宵越しの金は持たねえ」つもりでメッチャ呑んで食べた(それでも少しギャラは残ったんでやっぱラフィエスタはリーズナブルだ)。
ハッピーハッピアーハピエスト、何も望まんよもう・・・な一日だった。