3年間しかいなかったのにそこまで関西を好きになれるもの?とよく訊かれる。
そこでギターを始め音楽を始めたから?もちろんそれは大きい。
でも、そんなこと言ったら音楽人は誰もがどこかで始めてるわけで、それだけだとこうはならない。
中3の夏にいきなり東京に転校になった。
それは小6の夏に北海道から西宮に転校になったように。
当初あんなに嫌だった西宮から絶対離れたくない、一生オレは関西で生きて行くって思ってたところに今度は東京・・・。
もちろん東京は違う惑星とは思わず普通に暮らせるところなのも知ってた。
でも中3、受験生である。
中3ともなるともうクラス中で人間関係が出来上がってる。
転校して2週間で修学旅行があった。
オレは西宮で既に修学旅行(九州)をしてきている(言うまでもなく最高だった)。
2回目東京の修学旅行は行先も新鮮味ゼロのThe奈良&京都。
部屋班を決める時、予想通りオレは最後の1人になった。
念のため言っとくと東京のクラスメイトはみんな優しかったし、今でもこのクラスとの連中とも仲がいい。
3年間築き上げた友人関係で好きな者同士で班になり、謎の転校生があぶれるのは別に不思議なことでもない(※オレは学級委員のいる班に入れてもらった)。
もともと頭よくないうえに教科書も違うし成績は散々で、体育だけは目立てるかと思いきやよりにもよって苦手な水泳だったり・・・。
毎日が本当に辛くてつまんなくて「遠くで汽笛を聴きながら何もいいことが無かったこの街で暮らしていこ~」って思ってたその時、ドサっと何やら重量感たっぷりの荷物が届いた。
差出人は「西宮市立瓦木中学三年五組一同」。
開けると九州での修学旅行のクラス集合写真(オレがなぜか旗持ってる)がパネルになってるブツとさらにクラスメイト全員からの封書の手紙(ハガキとかカードじゃなく手紙)があった。
聞けば担任の授業(社会)かホームルームか何かを使って「赤澤に手紙を書く」という時間を作ってくれたとのことだった。
40人以上の手紙なんて目にしたこともないし度肝を抜かれた。
絶対重量としても重かったけれども、思いが重い・・・。
絶体絶命のピンチに突如もの凄い数の援軍がやってきて、ガンガンに蹴散らしてった(何を?数々のオレのモヤモヤを)。
「この思い、気持ち、一生忘れまい」と心に誓った。
40年以上経とうが本当に今も忘れてないし忘れたことがない。
もちろんこれからも一生忘れない。
それゆえの「アイラブ西宮」ってこと。OK?
アイラブユーOK?YAZAWA?I’m AKAZAWA.
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尚、今回の呑み会で3-5女子が「赤澤君って転校したんやったっけ?一緒に卒業したか思ってたわ」ときたもんだ。
おーい!オレのお別れ会してくれたあの時の涙はなんやってん!これだから女は・・・(男連中はみんな覚えてくれてた)。