2001年5月11日音楽事務所を抜け出たのが21年前。
深海の底の底、沼状態は実際その後1年続いた。
34歳でフリーターから初めて就職活動をするも圧倒的空振りを繰り返し、毎日フラフラ散歩して、これは誇張でもなんでもなく自分がホームレスになる姿をリアルに想像出来たりして、結果的に半年後に某大手学習塾正社員として職につけたもののそれから半年間はずっと都内3か所の教室の雑用事務仕事を日々繰り返し、方南町にあった教室で年齢も1まわり下の教室長の元で宛名書きしたり近隣にチラシのポスティングをしたりしてたある日、教室の屋上、給水タンクみたいのがあった場所で襲われた感覚は今でも鮮明に覚えていてそれは「今世界が滅亡しても悲しくない」だった。
直接的に「死のう」とかは思わないし考えてないんだけど、不可抗力的に消えてなくなるのは厭わないみたいな感覚・・・。
深海の底は光が差し込む気配もなく、音楽事務所を抜け出てちょうど1年経った2002年5月11日、土曜日だった。
「赤澤さん、あさって月曜から大月行ってくれますか」驚愕の2日前辞令(笑)。
5/13(月)、普通列車に乗り、高尾を過ぎると美しい自然というよりちょっと怖くなるほどの大自然の山山山・・・これから毎日ここ通うのか・・・。
引継ぎではなく新規オープンの教室を任されたオレはようやく自分の居場所を得た。
ぶっちゃけ紛れもない左遷だったけど、大月教室を我が家のように愛した。
実際週の半分以上は教室に寝泊まりしてたから家そのものだった。
2002年5月13日(月)に新規オープンした大月教室は今日でちょうど二十歳を迎える。
そんなことは現大月教室長も絶対知らないと思うけど、ていうかオレしか感慨に浸れる奴もいないだろうけど、せめてオレだけは言っとこう、成人式おめでとう大月教室。
思えばこの日より海底に光が射し込んできて一筋の光を頼りにオレは水面に上がろうと動き始めた。
20年前、世界が滅んでいたら今珈琲文明は無いし、子供だって生まれていなかった。
世界よ滅ばないでいてくれてありがとう。
#珈琲文明#赤澤智 #人生に行き詰まった僕は喫茶店で答えを見つけた #大月教室 #考える隙も与えなかった辞令は結果的によかったとも #結果論だけどな