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そんなわけで生還20周年の本日、今や「家族を形成」してるんで「最後の晩酌」は家族ですき焼きに決めたよ。>幸福の最上級の形が変わってきたとでもいおうか、シンプルに感覚的にこの変化に対応していくことが自分の幸福に直結するのだと思い始めた。そう、「自分の人生」、このフレーズを何度も使うが、例えば音楽のみならず、お笑い、タレントといったエンターテインメント系の人はもちろん、バリバリと仕事をこなすスーパーサラリーマンなど、このような人たちが誰かに対して感動、笑いやサービスを提供して多くの人の共感を呼び、指示されたとしてもそういう人たちは、いよいよ自分が死ぬという瞬間、何を思うのだろう。「自分は多くの人々を喜ばしてきた。そしてそれによって財も成した。しかし、等の自分自身はこれで幸福な人生だったのだろうか」というような根本的なところでの矛盾に気がついてしまった時には死んでも死にきれない気分になるのではないか。そんな考えになり、じゃあどうすれば幸福な人生だったと思いながら死んでゆけるのか、これはなかなか難しい、まさに「命題」だが、ここで抽象論を述べてもしょうがない、具体的にわかっていることがひとつだけある。それは家族を形成することである。独身で子供もまだ持たぬ身でありながら、これだけはなぜだか確信をもって幸福なことだと言い切れる。かといってもちろん今日、明日とか今年中に結婚しようなどと思ったところでこればっかりはまだまだ出来るものでもないのだが・・・。