今回のコラボ対談内で三者三様にオススメのビジネス書を一冊ずつ紹介していますが、
実はこれ対談の中で不意に来た質問で私は(小林さんも)答えの準備は何もしていなかった中でその時思い浮かんだ一冊を挙げました。私自身これまでにビジネス書と呼ばれるものはかなりの数読んできたつもりでして、良書も挙げたらキリがありません。ただ、この中島義道さんが書いた「働くのがイヤな人のための本」はちょっと別次元といいますか、ビジネス書という範疇でもなく、かといって他の自己啓発系にも属さない、完全に「空席」に居座っている書なのです。この本のことをこの狭い紙面で述べるのは正直不可能なので、所持しているこの本を開くと数多くの赤線が引かれている(ホントにもうどこも真っ赤です)その中からほんの一部を引用しておくに留めることとします。
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>人生とは「理不尽」のひとことに尽きること。思い通りにならないのがあたりまえであること(中略)社会に出て仕事をするということは、このすべてを受け入れるということ、その中でもがくということ、その中でため息をつくということなのだ。だから尊いということ。
>われわれは実際に仕事してみること「そのこと」のうちからしか、自分の適性はわからないだろうし、才能はわからないだろうし、ほんとうに自分のしたいことすらわからないだろうということ。つまり「自分とは何か」はわからないだろうということである。
>日々の仕事に不満を感じながらも、そこから逃れようとしないことのうちに、自分のかつての夢の「軽さ」もわかってくる。しかも自分にふさわしい仕事をやっと見つけて、その中で自分のしたいことがわかったとしても、けっして(いわゆる)バラ色の人生が開けているんではないんだ。そこでもあなたはまたもや敗退する可能性は高い。しかしそれでもからだごと動いてゆくことを通してしか、あなたが「よく生きる」ことはできない。
>仕事における他者とのかかわりは、不特定の他者でなければならない。きみの労働力(作品)に対して、不特定の他者が代価を払うことを期待できるのでなければならない。(中略)ある人が親戚と知人だけに絵を売っているのなら、その作品がいかに優れていようとも、彼(彼女)はプロの画家ではない。ある人が自分の小説を知人に無料で配っているだけなら、それがいかにおもしろくとも、彼(彼女)はプロの作家ではない。その労働によって金を得ること、これは仕事と切っても切れない関係にあり、仕事の本質を形成する。なぜか?そのことによって、われわれは真っ向から社会とかかわるからである。甘えは通用しないからであり、苛烈な競争が生じ、自分の仕事に対して客観的評価が下されるからだ。「客観的」とは公正という意味ではなく、不特定多数の市場における容赦のない評価という意味だけれどね。そして、ここにあらゆる理不尽が詰まっている。だからこそ、われわれが生きてゆくうえでたいそう貴重な場なのだと言いたいんだ。