高校三年の時、生徒同士の喧嘩により死者が出たため、
オレの高校最後の文化祭(体育祭も)は中止になった。
死人が出たわけだから「祭り」は中止、理屈の上では当時のオレも納得していた。
社会科教師が授業中に言った
「文化祭の中止はあんなことになったんだから当然だよな」
当時優等生だったオレ(自分で言うな)だが、平べったい缶みたいなペンケースを数十センチ持ち上げ思いっきり机に振り下ろした。
パ~ン!
あまりに目立ちすぎるウルサさだときっと教師もオレを叱るしかなかったろうが、
不可抗力かも(?)というギリギリの音量だったことやその後の特に暴れ出すでもない優等生(だから自分で言うな)はその後そのまま行儀よく座ってたもんで問題行為はスルーされた。
爆音ではないまでも確実に教室の空気を切り裂く音に加え、
強烈な怒気を含んだ眼光で黒板を睨みつけている生徒は一人しかいないことから教師もすぐにその音を発した主を特定したことだろう。でも教師はそのまま授業に戻った。
水を打ったような静寂がつづき授業が終わり休み時間、クラスメイト数人が寄ってきて
「赤澤怒ってたなぁ~」と優等生の怒りを物珍しがった。
軽音楽部や演劇部なんぞない、ライブをする一切の設備のない我が高の文化祭でライブをやるために代々木にあったセオリーレンタルスタジオからPA機材及びドラムセット等各種レンタルの手続き全てをオレがし、キャンセル料は高校で持ってくれることになっていたもののすぐには出ずにスタジオから督促の電話がオレの家にかかってきたこともストレスだったが、やはり何より高校最後のライブのために練習してきてた地球防衛軍(あ、バンド名ね)の散る姿すら見せられずのサドンデス解散に悲痛な思いをずっと引きずってた日々が続いていた時に言われた「あんなことになったんだから当然だよな」の言葉にはどうしても承服しかねた。
春の選抜だけじゃなく夏の甲子園も中止になった。
「このコロナ禍なんだから当然だよ」
と、球児たちに向けて直接じゃなくても、
球児たちに届くかもしれない環境下で、そういう言葉を発したくはない。
実際は当然で、やむをえず、苦渋の末、かもしれない。
オレ個人の考えにしてもそもそも決行は賛成でもない。
でもやっぱ、「その人の当然は他人の当然ではない」っていうのは「当然」だ。