※写真はめったに開くことのない裏口の激レアショット。タイトル「令和の風」。
本日6日は文明通信発行の日ですが原稿レイアウト及び印刷がまだ(すみません、、、)のためネット上にだけまずは上げておきます。文明通信令和初号→
「令和に思う」
創業以来12年間毎月発行し続けているこの文明通信。後々読み返す時に「あ?この時が令和開始の月だったのか」と気付くと思うので、新たな時代を迎えるにあたっての個人的な思いをここに述べておきたいと思います。近年(この10年くらい)のこの国の「人と人との間にある【空気】」の話になります。抽象的な表現ですが政治や社会情勢のことではありません。総じて「風通しが良くなり綺麗になっている」と感じています。
例えば酷い事件、痛ましい事件などが、防犯カメラ、ドライブレコーダー、スマホでの撮影、記録等が証拠になり発覚の糸口となることが多くなり、過去に比べて「闇に葬られる出来事」は少なくなっているように思います。痛ましい事件の発覚の度に胸を痛めることが多いのも事実ではありますが(とりわけ子供の虐待関連の事件などは本当にこれは比喩でもなんでもなく私は具合が悪くなって発熱するほどになります)、様々な酷い事件はもしかしたら過去において発覚されなかっただけで多発していたのかもしれません。他にも例えば理不尽な労働環境の話や、「#Me,Too」などもそうですが、「おかしい」と思ったことを記録し、声を上げていくことで「風」が起こります。そしてその風通しが良くなることで沈滞する劣悪な腐敗物が吹き飛ばされたならばそこに漂う空気は綺麗になります。
またこれは本当に物理的直接的な話になりますが、喫煙者が減っていることは単純に国全体の空気は綺麗になっているともいえます。私はタバコをやめて今年の7月1日で丸18年になりますが、今思うと平成というより昭和の時代は「タバコの時代」で、喫茶店と喫煙はほぼセットだったなぁと少し懐かしくも思います。
話を戻しますが、「人と人との間に流れる空気」は綺麗になっているというのが個人的感想でして、さらにこれも個人的な感覚ではありますが、「いまどきの若者たち」についても総じて「争いや暴力を好まない、平和かつ友好的」な印象(好印象)を受けます。
そんなわけでここ近年は社会全体の空気が「清浄化」され「正常化」していくのを感じています。少し楽観的過ぎる感想かもしれませんがもちろん希望的観測も込めています。
「令和」という文字、そしてその謂れとなった万葉集のかの一節部分、というよりあれが詠まれたあの場のその時の空気が綺麗だったと勝手に想像しています。
これから続いていく新たな時代はこうした風通しの良い綺麗な空気が漂い続ける時代でありますように。
珈琲文明 店主 赤澤 智