

インスタを始めてからどことなく若いお客さんが増えたような気がするのと、
「横浜市経済局」が制作した「外国人観光客向けのサイト」に載ったことからどことなく外国人のお客さんも増えたような気がするのはただの気のせいかもしれないんだけど、
とりあえず、外国人向けの雑誌なんぞも置いてみようと思い立ったのがこれ。
「TOKYO journal」。91年の冬、今から26年前の雑誌。
当時組んでたバンドJIVE JUNKがガッツリ特集されてて、
バイト先の塾や自宅や練習スタジオにまでライターが同行、まさに密着取材だった。
外国人ライターが食い入るようにオレがする英語の授業聴いてる時の緊張感はどうよ・・・
今読み返すと当時の原宿ホコ天の様子とかあの時の空気感が真空パックされてるような懐かしさに駆られるのはまぁオレ(とバンドブームの頃のバンドマン達)くらいかもしれないけど、店内に置いとくのでよかったらご覧ください。
当時のオレが頑張ってやってみた全文翻訳版も付けときます(今なら絶対無理)。
読み返してすごい興味深かったのが、
「■スタジオ代2万8千16円(毎週火曜木曜各二時間)
■ホコ天代20万(一ヶ月に4回の合計、PA、ドラム、発電機等)
■ライブハウス代3万(月に二度のライブ)
合計25万8千16円」
っていう生々しい金額が出てたこと。当時メンバー5人で各5万円以上毎月バンドにかかってただっていう事実ね。
そして記事のラストが、
「赤澤はこう主張している『俺は今、まだ好きな事をしている。バイトも嫌ではないし、俺は自分自身とっても幸せに暮らしていると思う』とそこで話を止め、コーヒーを一口すすり、最後にこう付け加えた。『老後の自分を考えない限りはね・・・』と。
『そうそう』と柔らかく高木は言う、『俺も老後のことを考えて、年金と健康保険に入り始めたよ』と」
で、この記事が結ばれる。特にオチも何もない(笑)。
これでJIVE JUNKが後に有名になってたりしたなら価値も出てきそうなもんだが、
これ読んで当時の外国人の人々は何を思ったんだろう。
そんなこんなと懐かしんでたら明後日の12/18でJIVE JUNK解散からちょうど四半世紀が経つ。現時点までの人生のちょうど折り返しがあの日の解散なんだな。
※写真は例えば腰から下げてる「拳銃」や「バンダナ」や「ブーツのアップ」も実は全て俺のね(笑)。こんな撮られようも二度とないだろうよ。