「コーヒーは左脳的システム思考」
先日「お菓子作りは左脳的で料理は右脳的」という文章を読みました。お菓子は、軽量カップやはかりやスプーンで分量を性格に量る必要があり、料理は目分量や途中で味見をしながら自分好みの味付けにしていき、アレンジも自由自在ということから、お菓子作りは左脳的、システム思考的であり、料理は右脳的デザイン思考的であるという内容でした。
深く納得すると同時に、それでは「コーヒーを淹れる」という行為はどちらか?それは迷う余地もなく前者、つまり「左脳的システム思考」のほうです。豆、お湯の分量、温度、時間、全て正確に計測します。でも逆に言えばそれだけです。というよりそれ以外に何が出来ましょう。
スパイス、調味料、出汁等多種多様なものが混在する料理とは異なり、コーヒーとは「原材料=コーヒー豆とお湯。以上!」であり、ここに目分量やアレンジという概念は不要なのです。
さて一方でとある和食料理店では関東風の甘い卵焼きを作る際に、飽和濃度に近い砂糖の量を正確に計量し投入することで舌に吸い付くような滑らかな卵焼きを出しているという記事を最近目にしました。これはパティシエの技術を料理の世界に応用、つまり「和食の世界に左脳的システム思考を導入」することで他のお店の卵焼きとの差別化を生んだ例です。それでは逆に「コーヒーの世界に右脳的デザイン思考を導入」するとどうなるでしょうか?アレンジメントコーヒーやラテアートなどであれば別ですが、単にコーヒーを淹れるという段階では右脳的思考は不要と言わざるを得ません。
これをあたかも「コーヒー哲学や精神」といったものがあるかのように振る舞う人がいたり、いや、それは別にいいと思うのですが、目分量で豆を量ったり、お湯の量も毎回異なった状態で淹れるコーヒーの味は少なくとも味が一定しているわけがありません。
左脳派右脳派どちらが良い悪いの話ではなく、またここで例を挙げたように「料理の世界にパティシエの技術を導入」はあれど、その逆は無いということです。
コーヒーを淹れる際に必要な条件はシビアな計量計測あるのみと言っても過言ではありません(大前提として豆そのもののクオリティが高いということはいうまでもありません)。
ちなみに計量スプーンで一杯分などという淹れ方はそれは目分量のうちのひとつです。
これでは1g分ほどの誤差など頻繁に起こります。
当店のコーヒーはお一人様に対して豆を23g使用しておりますが、そのうちの1gの違いはかなり大きいと思います。ましてや全国平均とされるお一人様10gで淹れようとして1gの誤差はもはや誤差ではなく10%という大差です。コーヒー豆は必ず淹れる際に電子はかりで1gたりとも増減がないようにきっちりと量ること。「左脳的システム思考」などと小難しいフレーズは置いといて、ご家庭でおいしいコーヒーを淹れるためにはこの「計量計測」がまず重要なのです。
赤澤珈琲研究所 代表 赤澤 智