ラ抜き言葉が多くなって云々っていうのが昨日から新聞やネットで盛り上がってるけど、
これね、実践の場だと「ラ抜き」によって「可能」の意味を明確に出来るっていう利点があると思うんだよね。
「る」「らる」の助動詞は受身、尊敬、自発、可能、といろいろ種類があるわけで、
とりわけ「受身」と混同されると意味が物凄く変わるから注意が必要で、
もともと言葉というものが「意思伝達」のためだとするならば「可能を表す=ラ抜き」にしちゃうのもまぁいいんじゃね?っていう考えもオレの中で半分くらいある。
まぁ使われる動詞にもよるんだけど、五段活用のは言うまでもないとして、
五段以外のいわゆるいろいろ槍玉にあげられる動詞の中にも「それ別にいいんじゃね?」っていうのがオレの感覚だと多い。
かつて木村太郎キャスターがニュースの中で「言葉は時代とともに・・・」っていう出だしで喋りだしてビビったことがある。あ、いや話が思いっきりそれるんだけどさ、
コブシャウの「死語ラップ」の出だしと同じだったからビビったのさ。
「いつかコブシャウで武道館に出たい」っていうのが夢なんじゃなくて、
「いつかコブシャウで武道館に出て【死語ラップ】のコールアンドレスポンスを一万人でしたい」
っていうのがオレの夢です。
武道館の前に明日は第四金曜弾き語りです。※死語ラップやりません
動画は「死語ラップ~さらなるロングヴァージョン~」より
https://www.youtube.com/watch?v=Ep3zYrVfwwY