ものすごく久しぶりの「裏・文明通信」だ。今日はどうにも「裏」に相応しい日でもある。
先日、山梨の教室長時代に働いてくれていた講師が来店してくれた。
当時なかなか就職が決まらず、ようやく大手のメーカーに就職出来た時は(既にオレは塾を退職しているのに)わざわざ連絡をくれた。
それから9年たち、残念ながらそこの会社を辞めた話をはるばる山梨からしに来てくれた。
身体とメンタルのダブルトラブルゆえ本当に大変だったことが十二分に伝わってきた。
彼にとって「人生で最悪の時」は今なのかもしれない。
ちょうどオレの「人生で最悪の時」の15年前と今の彼は同じ年齢になっている。
「赤澤先生はいつもポジティブなエネルギーを発揮してたのがよくわかりますが、自分の場合は全く逆なので・・・」と彼は言った。
そしてオレが言ったのは「全くそんなことはなくて、ひとつ言えることは本当に紙一重だったんだよ」ってことだけだった。
そう、オレは彼となんにも変わんない。
ていうかもっと超絶にネガティブの極地にいたとも思う。
たぶん彼がオレを教室長として見たそのほんの数ヶ月前の東京のマンモス教室で副室長(という名の雑用係)時代を見たらそんな言葉は出なかったはずで、
彼の知るオレはその後の左遷先の教室でとりあえず迷う余地も暇もなくひたすらに働き、
北関東全域の教室で売上一位の教室になったその結果しか知らないからなんとなくバリバリと働くビジネスマン的に見えたのかもしれない。
ちなみに東京での雑用時代はそれでもまだどん底ではなく、
これ以上もう底なんかない時が15年前のまさに今日あったんだからそもそも就職して以降は超絶ネガティブではあれどあの時の絶望とはまた異なっていた。
オレから彼にアドバイス出来ることなんかなくて、
本当に今こうして「人生で今が一番幸せ」だなんて言えることは、
繰り返しになるが、「紙一重」というしかない。
底なし沼のごとくどこまでも沈んでいったかもしれないし、
しかもオレはそういう自分を怖いくらいにリアルにイメージまで出来た。
京王八王子の駅近くの電信柱にあった求人用看板を見た時に何故か寒気がするほどの絶望感に襲われたあの感覚はいまでもリアルに残っている。
「人生なんて紙一重でほんのちょっとの努力の差が出るからもう少し頑張ってみなよ」
なんてことを彼に言うつもりは全くなく、
大いに努力しても報われないこともあれば、
なんにも苦労してもいないのに全てがウマく行くこともある。
その「理不尽さ」は世のいたるところに今日も漂う。
オレが彼に言えたことは、「紙一重だった」というその事実のみで、
だからといってどうという助言も出来ないし、何かに応用出来ることでもなかった。
ただひとつだけ補足するならばオレの場合、
絶望の淵にいたその時のオレの身の回りには
鉄壁最強の布陣がガードを固めてくれていたということ。
家族(もっと具体的に言うと沈着冷静な両親、法律に強い兄)、
恋人(現妻)、
親友、
コブシャウメンバー、
オレの人生におけるスーパーオールスターキャストだ。
これら最強の布陣に完全に守られたような気がする。
でなきゃオレはおそらく15年前に壊れていたと思う。
そして、KOされはしたものの、なんとか立ち上がり、
自らの脚で歩き出し(比喩的な意味ではなく散歩したってことね)、
無目的に歩き回り、人ではなく、自然や人工物による風景の美しさをたくさん吸って、
だんだんと呼吸が調ってきたのを覚えている。
http://ojamaru.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-f468.html
Since2001・5/11 あれから今日で15年。
最強の布陣にあらためて感謝。