
生涯で超最悪と呼べる時期のワースト2位か3位に入るのが、中3の二学期になってから東京に引っ越してきて高校受験までの半年。いや、東京の中学の先生も生徒も一ミリも悪くない。とにかくそれまでの西宮が楽し過ぎたってことと、
クラスメイト側の立場に立っても、もうすぐ中学も終了するって時に来た転校生とは深く関わりたくもないだろう、ってのは当時も自覚してた。
「時代(中島みゆき)」や「遠くで汽笛を聞きながら(アリス)」を何度聴いて気持ちを鎮めたことか(笑)。
うん、音楽に救われたってのはマジな話で、
「あの時音楽室にあったクラシックギターをミムが手に取ってなかったら」
「赤澤って、ギター弾けんの?教えてよ」ってならなかったら・・・
たられば話というのはそれがその後自分が生涯をかける事柄に結びつく物事ほどアツい。
つうかさ、FBのお陰様サマで、もう二年くらい前にこの「ミム」とは再び繋がってた。
でもようやく昨日再会を果たした。
「マスタッシュ」のもう一人のパートナーとはその後の高校3年間ドップリ音楽漬けで、それなりにちゃんとしたバンド形態として続いたんだが、ミムとは中学卒業後一度も会わなかった。
でも、初めてオリジナル楽曲を作り、披露するということを成したのは中学の時の「マスタッシュ」だった。「寿司屋に行ってトロを食いたい」って歌とかだけど。
中学の卒業式も終えて確かもう春休みに入ってたんじゃないかな?
視聴覚室でマスタッシュはライブをやった。
クラスメイトのほとんどが見てくれた。
ムチャクチャ暖かく迎えられ、予想以上に盛り上がった。
昨日のこのミムとの再会会場は、やはり同窓生にして飲み屋を経営する飲食店主仲間(彼とは実際に会うのは昨日が初めてだった)の店。
オレが幹事になって東京の中学時代の同窓生誘っても、
「飲み会?いいけど、赤澤?誰?」ってなるであろう中で、
話をまとめてくれたのは当時はクラスも違う知り合いになりえないはずの人物。
彼はオレが休みの水曜っていう平日の夜にたくさん人を集めてくれてしかもアウェイ感もなく、楽しい宴席を設けてくれたことには感謝しかない。
最初に「生涯で超最悪ワースト3に入る時期」と言った。
こういう時期を人は「二度と戻りたくない時期」とイコールにする。
でもこの「東京の中学での半年間」はオレにとって、
「出来ればもう一度戻ってみたい時期」である。
あ、西宮の三年間はそのままで(笑)。
その後この東京の中学のメンツのまま高校3年間過ごしたかった。
附属中学だったらよかったのに・・・。
※写真その①・・・「コブシャウの本に出てくるミムのページ」
※写真その②・・・ミムと。