オレにとっては最も直接的な先輩ミュージシャン、樋口了一さんが昨日24時間テレビ内で武道館で歌った。
「武道館」「JIROKICHI(高円寺)」「大阪フェスティバルホール」は言わずと知れたオレの三大聖地(知らんがな)である。そんな武道館で樋口さんが歌った。
今、直接的と言ったけど、樋口さんはオレにとってまさに直属の上司みたいな感じで、
我が大学の軽音楽部ってのは入るのにオーディションまであるっていう「上から高飛車クラブ」だった。
「ロイヤル」っていうバンド名が有無を言わさず世襲制で、原則として一つの代にヴォーカルなら一人だけ(第何代ロイヤルVOとかってやつ!?)ということになる。
樋口さんの後の代のヴォーカルが二年連続該当者無しだかで、樋口さんが4年の時にオレは入学した。
こジャレてスカした音楽やってる印象を持った軽音にオレは全く興味がなくて、
でもオーディションがあるってことだけが引っかかり、そこだけは好印象かつ「ナメんなよ」の精神で門を叩いた。
樋口さんもさすがに4年だし、諸先輩がたも後続が出ないのもヤバイと思ったのか、
「ロックしかやんないとか言ってるヤツなんか入れるな」とか「いや、あのシャウトしたバカ面白いじゃん(ちなみにこれを言ったのは現コブシャウの時さんね)」などいろいろありつつ、結局オレはロイヤルのヴォーカルになった。
実際入ってみるとロイヤルは小洒落てもスカしてもなく、ドロッドロのファンクをやってて、悔しいけどカッコよかった。
当時プライドの塊で鼻持ちならないスタンスとりまくっていたオレだが、
学年も一個や二個じゃなく、三個上の樋口さんにはさすがに最初からライバル心などなく、
樋口さんからしてみたらオレは「ひ孫」みたいな感じで可愛がられてた気がする。
特に何か教わったとかじゃなく、ていうか相当適当な人だったからね(笑)。
偉大な師匠を持つ弟子たちはよく「オレこそが一番弟子だ」とかの自意識合戦もあるかもしれない。オレがまさにそう。
もしも今後樋口さんを師と仰ぐ人が出て来るのはもちろんいい。
でももしその人が「一番弟子」と吹聴してたら「は~い、ちょっと待てぃ!」と(笑)。
いや、マジで血の濃さや生粋度で言えば全世界公認でしょオレ。
なんでこんなこと突然言い出してるのかってぇと、そう思いたい、思わせてくれよ、っていうのが昨日ほど強く、そして誇らしく思ったことがないからだ。
聖地武道館で歌ったっていうこともそうだけど、それ以上に、「限りなき挑戦」してんだもん。前を向いてんだもん。転んだ後に立ち上がってんだもん。
「幸せは自分の心が決める」のであれば、樋口さんは幸せに生きてんだもん。
これが痛快じゃなくてなんなのよ。ず~っとやってきた音楽の続きがこんなにも味わい深い展開になってる。様々な感情感傷入り混じった、脳内バトルロイヤルで昨日はテレビを見た。