

前バンドJIVE JUNK時代、たまたまホコ天でのライブを見てくれて以降、頻繁に我々のライブに足を運んでくれた当時高校生の女の子がいた。
それから何年か経ち、彼女がまだ20代の若さで亡くなったことは彼女のお父様からの電話で知った。
ネットや携帯も普及してない当時だから、例えばオレの家の電話番号ひとつ知るのも大変だったと思う。
「娘が好きだったバンドのライブをぜひとも実際に見てみたいんです」と電話口でおっしゃたお父様は数日後、JIVE JUNKの後にオレが組んだバンド「コブラツイスト&シャウト」のライブ@エッグマンを見にいらっしゃった。
コブシャウのかなり初期の頃だから20年近く前になる。
彼女のご両親がコブシャウのライブに来てくれたのはその時だけではなかった。
以後ほぼ毎回のようにわざわざ沼津から新幹線に乗って見に来てくださった。
オレも一度沼津まで行って彼女のお墓参りをした。
「我が子が興味を持っていたものを知り、それを少しでも追体験したい」という親心を痛いほど感じ取ったオレは彼女に関する知りうる限りの(そんなに多くはないが)話をした。
「スティーヴィーサラス」という名前を「もう一度お願いします」と訊き返されてメモをされてる様子を見た時は胸がいっぱいになった。
昨夜の第四金曜弾き語り「新春唄い初め」に彼女のご両親が久しぶりに来てくれた。
オレが作った楽曲に関しては、今や娘さんより遥かに詳しくなったご両親。
「あれから」オレの中で起こった様々な出来事、事件、怪我(そうそう、網膜剥離になった時は眼科医であるこのご両親には本当に助けられた)、
いろんなことをこのご両親は知ってる。20年ともなるとそりゃいろいろあるさ。
これからも「つづき」はある。
○○ちゃん、「あれから」の話をご両親はたくさん知ってるから、
いつの日か、た~くさん話してもらいなね~!