本日、ついにあれから10年たった
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生還後すぐに解放感、なんてことはなく、言いようも無い虚無感虚脱感、
全く先が見えなくなった。
でも完全なる絶望にならなかったのは、家族、コブメン、当時の彼女(現妻)がガッチリ脇を固めてくれてたからだといつも思う。これらどれかが欠けてたらマジでどうなってたことやら・・。だから5月11日はこれらの人々に感謝する日ともいう。
あの後、半年無職で就活はしてんだけど採用がなく散歩ばっかしてた期間が今思えば相当重要な期間だった。大学浪人中もそうだったけど、これでもかってくらい自分と向き合ったし、充電期間なんてカッコいいもんじゃないのは確かだけどね。
大学卒業後10年講師(アルバイト)をやった塾じゃなく、求人雑誌のビーイングに「勤務教室、南大沢、西荻窪、三鷹等」とあったために当時八王子在住のオレは「お?西東京じゃん」ってくらいで応募した某塾に就職が決まり、
いくつかの教室の雑務を半年したある日「明後日から大月に行ってください」と言われ、「西にもほどがあるだろ、ていうか東京じゃないし」の新規教室オープンの立ち上げ、
なんとか軌道に乗ったあたりから「お店をやる」という意思は意志となりボンヤリがクッキリとなり、その後富士吉田異動、結婚・・。
なんで山梨にいんのか理由を考える暇もないってのが正直なところだった。
でも大月&富士吉田の二つの教室長の経験は社会人経験なさ過ぎのオレには貴重な財産。
同時にどんどん具体化具現化してった「お店」のこと。
資金作りのために稼いだ貯金は文字通り財産。
しかしそれは開業費で無一文(どころか生涯初の借金も発生)に。
まだ物件も決まらずに退職、引越してきて開業までの1年もやはり財産。
文明開業(文明開化!?)からのこの4年はもちろん財産。
10年前に
「幸福の最上級の形が変わってきたとでもいおうか、シンプルに感覚的にこの変化に対応していくことが自分の幸福に直結するのだと思い始めた。そう、「自分の人生」、このフレーズを何度も使うが、例えば音楽のみならず、お笑い、タレントといったエンターテインメント系の人はもちろん、バリバリと仕事をこなすスーパーサラリーマンなど、このような人たちが誰かに対して感動、笑いやサービスを提供して多くの人の共感を呼び、指示されたとしてもそういう人たちは、いよいよ自分が死ぬという瞬間、何を思うのだろう。「自分は多くの人々を喜ばしてきた。そしてそれによって財も成した。しかし、等の自分自身はこれで幸福な人生だったのだろうか」というような根本的なところでの矛盾に気がついてしまった時には死んでも死にきれない気分になるのではないか。そんな考えになり、じゃあどうすれば幸福な人生だったと思いながら死んでゆけるのか、これはなかなか難しい、まさに「命題」だが、ここで抽象論を述べてもしょうがない、具体的にわかっていることがひとつだけある。それは家族を形成することである。独身で子供もまだ持たぬ身でありながら、これだけはなぜだか確信をもって幸福なことだと言い切れる。かといってもちろん今日、明日とか今年中に結婚しようなどと思ったところでこればっかりはまだまだ出来るものでもないのだが・・・。」
と言っている(引用長ぇよ!)。
その後、家族を形成し、もう一人メンバーも増えそうな今現在。
これが幸福でなくてなんだろう。Happy Decade!